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宮崎地方裁判所高千穂支部 昭和62年(わ)1号 判決 1988年12月08日

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件の問題点

1  本件公訴事実は、「被告人は、酒気を帯び、呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態で、昭和六二年一〇月一〇日午前八時ころから同日午前一〇時五五分ころまでの間、熊本県球磨郡山江村大字万江乙字葛の上付近道路から同県八代市川田西町六九一番地付近道路まで、普通乗用自動車を運転したものである」というのである。

2  被告人は、当公判廷において、右公訴事実につき、運転行為をしたことは事実だが酒気を帯びているという意識はなかったと述べて、酒気帯び運転罪の故意を否認し、具体的には、「事件の前夜に仕事仲間と焼酎を飲んでから就寝し、翌朝起きたときには気分は普通でアルコールは残っていないという感じだった。朝食をとった後車を運転して出発し、二時間くらい経ったところで検問に会って検査を受け、酒気帯び運転だと言われた。自分としては、運転開始から検問まで、前夜の酒が残っているという感じは終始無かった」旨弁解している。

酒気帯び運転罪の故意が成立するためには、行為者において「アルコールを自己の身体に保有しながら車両等の運転をすることの認識」のあることが必要である(最決昭和五二年九月一九日刑集三一巻五号一〇〇三頁)。そこで、本件で被告人が右認識(以下「アルコール保有認識」という)を有していたか否かを、以下検討する。

二  本件の事実経過

事件前夜の飲酒から翌日の運転、そして飲酒検査に至るまでの事実経過については、被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官及び司法巡査に対する各供述調書、証人西山誠也の当公判廷における供述、司法巡査作成の捜査報告書(交通事件原票)の抄本、司法巡査作成の酒気帯び鑑識カード、検察官作成の電話聴取書二通及び検察事務官作成の「運転経路の実測について」と題する書面を総合すると、次の各事実が認められる。

1  被告人は、当時熊本県球磨郡山江村大字万江乙字葛の上で建設作業に従事していたが、事件前日の昭和六二年一〇月九日は、夕食後午後七時か八時ころから一一時ころまで、飯場で仕事仲間と一緒に飲酒した。被告人は、普段晩酌に焼酎を二、三合飲んでいたが、その日は翌日が被告人の結納だったこともあって、焼酎を五、六合飲み、酔って午後一一時から一二時の間に就寝した。なお、焼酎は「白岳」という銘柄でアルコールの度数は二〇度であり、被告人は、これを生で飲んだ。

2  翌一〇月一〇日、被告人は、午前七時ころ起床した。味噌汁と御飯の朝食をとった後、高千穂の実家に帰るため、自動車に乗って飯場を出た。―被告人は、午前八時ころ出発したと供述しているが、これについては後に検討する。

3  被告人は、自動車で、飯場から人吉市まで行き、その後球磨川沿いの国道に入って八代市まで下り、九州自動車道の八代料金徴収所まで来て検問に会った。運転距離は、飯場から人吉市までが約一一・一キロメートル、人吉市から八代料金徴収所までが約五八・三キロメートルの合計約六九・四キロメートルであり、被告人は、途中休憩をとることはしなかった。

4  被告人が検問に会ったのは、午前一〇時五五分ころであり、警察官は、被告人から酒臭を感じたため飲酒検知管を無線手配して取り寄せ、午前一一時一〇分ころ、検知管で測定したところ、被告人の呼気から一リットルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールが検出された。警察官は、引き続き、被告人に対する質問・見分の調査を行ない、言語態度状況は普通(具体的内容は「休んだので大丈夫だと思った」というもの)、歩行能力及び直立能力はともに正常、顔色及び目の状態もともに普通という結果を得た。―なお、酒臭については、後に検討する。

5  被告人は、検査後一時間くらい休んだ後、再び自動車を運転して高千穂へと向かった。その際、警察官は、被告人の運転再開を特に咎めることはしなかった。

三  検問時におけるアルコール保有認識の有無

そこで、まず、午前一〇時五五分ころの検問時に、被告人がアルコール保有認識を有していたか否かを検討する。これについては、第一に、被告人の飲酒試験等を行なって得た鑑定結果をどのようにみるか、第二に、検問に当たった警察官が被告人の酒臭を感知したことをどのように評価するか、がそれぞれ問題となる。

1  鑑定人三山吉夫作成の鑑定書(以下「三山鑑定書」という)及び証人三山吉夫の当公判廷における供述(以下「三山証言」という)によると、次の各事実が認められる。すなわち、被告人は医師三山吉夫のもとに鑑定のために約二週間入院して飲酒試験等の検査を受けたこと、飲酒試験は二回行なわれ、前項認定の本件当時の状況とかなり近似した状況(例えば、試験前夜は午後一一時まで焼酎「白岳・二〇度」を五・五合生で飲む、翌日午前七時に起床して、朝食をとり、午前八時から午前一〇時五五分まで車の運転に準じた行動をして過ごす等)が設定されたこと、その結果、第一回飲酒試験では飲酒の翌朝被告人は二日酔いの症状を呈してそれが午後まで続いたが、第二回飲酒試験では二日酔いの症状を呈しなかったこと、午前一〇時五五分の時点における被告人の血中アルコール濃度は第一回が〇・五ミリグラム/ミリリットル、第二回が〇・七ミリグラム/ミリリットルであったこと、同時点において、第一回及び第二回とも、被告人に酒臭等の外見上アルコールの身体保有を推定させる徴候はなかったが、被告人自身、第一回には軽度の頭痛を訴え、第二回には「全くどうもありません」と述べたこと、以上の各事実が認められる。

三山鑑定書及び三山証言は、右試験結果を踏まえて、第一回及び第二回の各飲酒試験の午前一〇時五五分の時点では、被告人はアルコール保有認識を有しておらず、さらに、本件の午前一〇時五五分の時点でも同様であったとの結論を導いている。前記試験結果に照らすと、第一回飲酒試験では、二日酔いの症状を呈して午前一〇時五五分の時点でも軽度の頭痛を訴えていたのであるから、果たして被告人にアルコール保有認識が無かったといえるかは疑問であるが、第二回飲酒試験では、アルコール保有認識につながる他覚的及び自覚的症状は全く無かったことが認められるので、同試験の際被告人に右認識が無かった旨の結論部分は首肯できる。

問題は、本件の午前一〇時五五分ころの時点でもアルコール保有認識が無かった旨の結論部分についてである。鑑定は本件に近似した状況を設定して実施され、実際にも午前一〇時五五分の時点での体内アルコール濃度は鑑定と本件とでほぼ同様の数値が検出されているのであるから、本件における被告人のアルコール保有認識の有無を判断するに当たって、飲酒試験の結果は有力な参考資料になし得ると考えられる。ところで、第一回飲酒試験と第二回飲酒試験では、どちらの方が、本件を判断するためにより参考になるといえるであろうか。これについて、被告人は、当公判廷で、「五合くらいを遅くまで飲んだ時は二日酔いになることがあるが、本件の時は、飲み始めが早くて寝るのも早かったので、二日酔いになっておらず、どちらかといえば第一回飲酒試験の時よりは第二回飲酒試験の時の方に状況が近い」旨供述している。同供述は内容が自然で特に虚偽を述べているとは受け取り難く、また、それを否定すべき客観的証拠も何ら存しない。右によれば、第二回飲酒試験の結果の方が、本件の場合を判断するうえでより参考になし得ると考えられ、そうすると、同試験の際被告人にアルコール保有認識が無かった旨の前記結論部分は、本件の検問時に酒が残っているという感じが無かった旨の前記被告人弁解の信用性を支持する有力な事情であるというべきこととなる。

2  第二の問題は、検問に当たった警察官が酒臭を感知した事実の評価である。前記証人西山誠也の当公判廷における供述及び同酒気帯び鑑識カード並びに被告人の当公判廷における供述によると、検問の際被告人の自動車を止めた司法巡査坂熊富士夫は被告人から酒臭を感じたこと、その直後に調査を実施した司法巡査西山誠也も酒臭を感じて右鑑識カードの「酒臭」欄の一番程度の高い「強い」に丸を付けたことが認められる。右によれば、検問・調査の際に、被告人から酒臭を他覚的に感知することができたことは、間違いのない事実であったと考えられる。問題は、酒臭の強さである。すなわち、他覚的所見のみならず被告人自身が自覚的に感じ取るほどの強さがあったのかということである。この点につき、被告人は、当公判廷で、「自分では車の中で酒の匂いを全然感じていなかった。警察官から酒の匂いがすると言われて、おかしいなと思った」と酒臭を全く自覚していなかった旨の供述をしている。

酒臭の他覚的な強さの程度についてはもともと判断者の主観が入ることは否定し難いと考えられるところ、西山証言も、「強い」と記載したことにつき、「質問中に酒臭を感じていたが、三〇センチのところから息を吐いてもらったらもっと強いにおいがしたので強いという表現になった。強い・弱いの区別の基準の説明は難しい」旨述べている。前記二4記載のとおり、酒臭以外の事項の調査結果はすべて正常又は普通であったこと、同二5記載のとおり、「強い」との酒臭の記載がなされたのにもかかわらず、僅か一時間後には何の咎めもなく運転が再開されたこと、及び、鑑定では第一回及び第二回の各飲酒試験の午前一〇時五五分の時点で酒臭が他覚的には認識できなかったことに照らすと、西山司法巡査が調査の際最も程度の高い「強い」に丸を付けたことは、同人の主観的思い込みが過ぎており、客観性に欠けると考えられる。また、坂熊司法巡査が検問の際に酒臭を感知したのは、三山鑑定書が指摘するとおり、密閉した自動車の室内に軽度のアルコールを含んだ被告人の呼気が長時間貯留したためである―被告人は当公判廷で「自動車の窓は運転中閉めていたと思う」旨供述している―可能性が考えられ、これも、被告人の酒臭が強かったことを示す事情であるとはいえない。以上の検討結果に加えて、三山証言によって認められる、軽度の酒臭を他覚的に感知し得る場合でも本人自身がそれを自覚できないことがあるという事情を総合考慮すると、検問時における酒臭の自覚を否認する被告人の前記公判供述は、これを排斥するだけの理由がないといわなければならない。

3  右1及び2の検討結果に加えて、検問後の調査の際には前述のとおり酒臭以外の外部所見はいずれも正常または普通であったこと、飲酒終了後既に約半日が経過しており、その間七、八時間の睡眠も介在していることの各事情を総合して考慮すると、本件の検問時にアルコール保有認識が無かった旨の被告人の前記弁解は、これを排斥することが困難であり、むしろこの信用性が高いというべきである。

四  運転開始時におけるアルコール保有認識の有無

次に、本件の運転開始時に被告人がアルコール保有認識を有していたか否かを検討する。これについては、右認識の存在を肯定する三山鑑定書及び三山証言をどう評価するかが、中心的な課題となる。

1  三山鑑定書及び三山証言によると、次の各事実が認められる。すなわち、医師三山吉夫が実施した前記三1記載の検査の結果、前述のとおり被告人は第一回飲酒試験では二日酔いの症状を呈したが第二回飲酒試験ではそれを呈しなかったこと、午前八時の時点における被告人の血中アルコール濃度は第一回及び第二回とも〇・九ミリグラム/ミリリットルであったこと、同時点において、第一回は、被告人に酒臭はなかったが、眼球の充血が軽度に存在しけだるそうな表情をしており、被告人自身頭痛を訴え「まだ頭がボーッとしています。(アルコールが)まだ少し残っていると思う」と述べたこと、第二回は、被告人に酒臭はなく、外見上は平素と変わらないが、注意を喚起すれば自覚的に「しいて言えばいつもよりしゃきっとしないような感じがする」との応答を被告人がしたこと、以上の各事実が認められる。三山鑑定書及び三山証言は、右試験結果を踏まえて、第一回及び第二回の各飲酒試験の午前八時の時点では、その程度に幅はあるがいずれも被告人にアルコール保有認識があったものであるとの結論を示し、さらに進んで、本件の運転開始時にも同様であったとの結論を導いている。

2  前記三1で述べた鑑定と本件の両状況の近似性に鑑みると、被告人の体内アルコール濃度の数値の時間的推移は両方の場合で近似していると考えられ、従って、本件の午前八時の時点でも被告人の血中アルコール濃度は大体〇・九ミリグラム/ミリリットルくらいあったと推認できる。三山鑑定書によると、血中アルコール濃度が〇・五ないし一・〇ミリグラム/ミリリットルの場合には弱度酩酊(微酔)といわれ、人によっては無症状のこともあるとのことであるから、本件の場合にアルコール保有認識の存在を肯定し得るか否かについては、慎重に検討する必要がある。そして、以下に述べるように、三山鑑定書及び三山証言の前記結論には、(一)第二回飲酒試験の午前八時の時点で被告人にアルコール保有認識があったという結論部分は首肯できるか、(二)鑑定と本件の両状況が近似しているからといって、本件の場合も同様に被告人にアルコール保有認識ありと推論することは妥当か、(三)そもそも本件の運転開始時刻は本当に午前八時ころだったのか、もっと後にずれるのではないか、という三つの点で疑問がある。

(一)  三山鑑定書及び三山証言の、第一回飲酒試験の午前八時の時点での被告人にアルコール保有認識があったとの結論部分については、当時被告人には明らかに二日酔いの症状が現われていたのであるから異議は無い。問題は、第二回飲酒試験の同時点でも右認識があったとの結論部分である。前述のとおり、同試験の際には、他覚的所見が全く無く、自覚的所見とて注意を喚起して初めて「いつもと少し違う」という程度の応答がなされるに過ぎなかったのである。そうすると、右各所見からアルコール保有認識ありとの結論を導くのは、やや強気に過ぎるのではないかという感がある。三山証言中には、「その時に何も注意を喚起しなければどうですか」との質問に対し、「(いつもよりしゃきっとしていないという感じを)感じないかも分かりません」と回答した部分があり、そうなると、右の感はなおさら深まるといわざるを得ない。

もっとも、被告人は、当公判廷で、「第二回の飲酒試験の午前八時の時点では、指先の力の入る部分が違ったので、いつもよりしゃきっとしない感じだった」旨供述しており、これによれば、三山鑑定書及び三山証言の第二回飲酒試験に関する前記結論部分は、全く首肯し得ないとまではいい難い。ただ、首肯する場合でも、三山鑑定書にもあるとおり、被告人のアルコール保有認識は「乏しかった」という程度の微弱なものであったと判断されるべきであろう。

(二)  第一回及び第二回の各飲酒試験における午前八時の時点での被告人のアルコール保有認識の存在を肯定できても、果たしてそのことから本件の午前八時の時点でも同様に被告人に右認識が存在したとの結論を導き出すことが可能だろうか。これが第二の疑問点である。前記三1で述べたとおり、本件は特に第二回飲酒試験の時に状況が似ていると考えられる。しかしながら、被告人は、当公判廷で、右のことを認めながらも、同時に、「飲酒試験の際には、緊張感があった。第二回は、第一回よりも緊張が解けてきたけれども、それでも、本件に比べれば緊張感があった。次の日にアルコールが出なければ良いがとそればかり考えていた」旨供述しているのである。飲酒試験に当たっては、本件当時となるべく近似した状況を設定するように配慮がなされたのではあるが、それにしても、病院に入院し自己の罪責の有無を確定するための試験として飲酒するというのでは、本件の飯場でのくつろいだ雰囲気での飲酒に比べて、被告人が格段の緊張を強いられたであろうことは、想像に難くない。被告人は、右供述と前後して、「緊張していると最初は酔わないが、後になって利いてくる。本件の時よりも第二回飲酒試験の時の方がもっときつい(しゃきっとしない)状態だった」旨を供述しており、そのような事態の発生は十分あり得たものと思われる。以上要するに、鑑定と本件の両状況が近似しているからといって、やはり相当な差異があり得るのであって、従って、仮に第二回飲酒試験の午前八時の時点でのアルコール保有認識の存在を肯定できるとしても、本件の午前八時の場合にも同様であると推論することは、軽軽にはなし得ないと考えられるのである。

(三)  第三の疑問点は、被告人の運転開始時刻は果たして午前八時ころだったのか、本当はそれよりかなり遅れて午前九時少し前ころだったのではないか、という点である。被告人は、当公判廷で、飯場を出発したのは午前八時ころである旨ほぼ一貫して供述しているのであるが、同時に、出発してから八代で検問に会うまでの時間については、一時間半から二時間くらいで遅れても二時間半くらいであると供述し、また、検問に会ったのは午前一〇時過ぎだったと思うとの供述もしている。つまり、被告人においては、運転時間が大体二時間前後であったというのが動かせない認識であり、これに合わせて出発時刻や検問に会った時刻を述べていると認められるのである。前記二3に認定のとおり、本件時に被告人が運転した距離は約七〇キロメートルに過ぎずしかもその大部分が人吉市と八代市とをつなぐ幹線国道であったことに照らすと、途中の工事(被告人の公判供述では、片側通行の所が二箇所あったとのことである)による待合わせ時間を考慮に入れても、所要時間が二時間前後という被告人の右認識は客観的事実としてもほぼ間違いないところであると思われる。

ところで、前記二4に認定のとおり、被告人が検問に会ったのは午前一〇時五五分ころであり、これから前記運転所要時間を差し引いてみると、出発時刻は午前九時少し前ころであるという計算になる。三山鑑定書及び三山証言は、本件の運転開始時刻が午前八時ころであることを前提にして、同時刻における被告人のアルコール保有認識の有無を論じているのであるが―鑑定時には、変更前の訴因である検問時の酒気帯び運転の成否に着目していたため、運転開始時刻を被告人の供述どおり受け取ったことは仕方のないことである―、実際には運転開始時刻はそれより一時間弱くらい後にずれる可能性が非常に高いと考えられる。そうすると、仮に、本件の午前八時の時点では、第二回飲酒試験の同時点の場合と同様に、被告人が「乏しい」アルコール保有認識を有していたとしても、同認識が、出発時刻である可能性が高い午前九時少し前ころまで消失せずに継続して保たれていたかということについては、確証がないというべきである。

3  右の(一)ないし(三)の検討結果に照らすと、本件の「運転開始時」に被告人がアルコール保有認識を有していたとする三山鑑定書及び三山証言の前記結論部分は、これを支持することがかなり難しいというべきである。そして、飲酒終了後運転開始まで既に一〇時間くらいの時間が経過している可能性が強く、その間七、八時間の睡眠も介在していること、被告人は朝食を普通にとっていることの各事情も合わせて考慮すると、本件の運転開始時にアルコール保有認識が無かった旨の被告人の前記弁解は、これを信用できないとして排斥し去る訳には行かないというべきである。

4  なお、ここで、被告人の公判供述の信用性全般について、簡単に付言しておく。被告人は、これまで酒気帯び運転罪を反覆累行し―いずれも、夜飲酒して引続き運転したもので、一晩寝て翌朝運転した本件とは事案が異なっている―、本件時は保護観察付執行猶予中(懲役四月)の身であったから、仮に本件で有罪となって懲役刑を選択されると、新婚の妻と離れて一定期間刑務所に服役しなければならないという、重大な岐路に立たされているものである。従って、被告人が、自己の罪責を免れる方向で意識的あるいは無意識的に虚偽の供述をする可能性は十分考えられるところである。しかしながら、被告人の公判供述をみると、その内容は全体的に自然であって虚偽を述べているとは受け取り難く、かえって、前述のように、「第二回飲酒試験の午前八時の時点では、しゃきっとしない感じだった」などと自ら不利益な事実を率直に認める供述もしているのであって、前記可能性を窺わせるような態度は少しもみられない。この点は、三山証言中の、鑑定のために入院していた時の被告人の態度について、「意識的・無意識的に自己に有利な方向で対応するという感じを被告人から受けたことはない」旨の部分とも通じるものである。このように、被告人の公判供述は、全体としてかなり信用できると判断される。

五  結論

以上の次第であるから、本件運転の際終始アルコール保有認識が無かった旨の被告人の前記弁解はこれを排斥し難く、被告人の酒気帯び運転罪の故意を認めるには合理的な疑いがあるというべきである。そうすると、本件公訴事実についてはその証明が不十分であって犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 飯田喜信)

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